サルミアッキと一緒

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zoom RSS Cthulhu-mytologiaa suomeksi (クトゥルフ神話をフィンランド語で)

<<   作成日時 : 2012/05/27 21:20   >>

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Aina hymyilevä, ja ryömin sinun viereen. Olen "Ryömivä kaaos",
(いつもニコニコあなたの隣に這い寄る混沌)
Nyarlathotep!
(ニャルラトホテプです)


↑自力でフィン訳。フィンランド語として正しいかどうかは知らない。

以前、知人にフィンランド語の文章を朗読して見せたところ、
「邪神召喚の呪文みたい」と言われた。
…まあ、それは自分の発音とリズム感とイントネーション(というか全部)が悪かったのが原因だが、
よくわからない言語で邪神召喚」というところから「クトゥルフ神話」を思い出したので、フィンランド語で書かれたクトゥルフ神話があるのか調べてみた。

クトゥルフ神話とは:
アメリカの恐怖小説家H・P・ラヴクラフトが生み出した作品を母体として、ラヴクラフトの死後に、その弟子にあたるオーガスト・ダーレスが中心になって展開した、邪神にまつわる新たな神話のことを言います。
【暗黒神話体系シリーズ クトゥルー 第一巻/大瀧啓裕 編 青心社】の解説より引用。


要は、「宇宙にはすっごい昔から人知の及ばない何かものすごいものがいて、それに関わるとろくなことにならない(発狂とか発狂とか発狂とか)」という共通の設定を持つホラー小説たちのこと…だと思う、詳しくは検索してください。
現代の小説やマンガゲーム、アニメの元ネタになることも少なくないので、知っているとにやにやできる。


(「鐘のキャロル」の替え唄、「旧支配者のキャロル」 ホラー注意)

とりあえず、「Cthulhu suomi」(クトゥルフ フィンランド)で検索してみたところ、Wikipediaにフィンランド語で書かれた項目があった。

内容については本家の英語版の方が詳しい(項目によっては日本語版が詳しい)けれど、名伏しがたきアレとか、冒涜的なコレとか、慄然たるソレに付けられる異名をフィンランド語にしたものがあったので直訳してみた。

クトゥルフ Nukkuva jumala, R'lyehin herra, (Suurten muinaisten) Ylipappi,
眠れる神、ルルイエの支配者、(旧き支配者たちの)神官。

ハスター Hän-Jonka-Nimeä-Ei-Mainittavan-Pidä, Keltainen kuningas,
その名を口にしないほうが良いもの、黄の王

クトゥグア Elävä liekki, Palava
生きた炎、燃えさかるもの

ニャルラトホテプ Ryömivä kaaos, Musta mies, Sanansaattaja
這い寄る混沌、黒い男、使者

ダゴンとヒュドラ Isä ja Äiti 
父さんと母さん

ダゴンとヒュドラだけなんか違う気がするけど、父さん母さんは普通にIsä と Äitiなので訳すとこうなる(実際、ヘルシンキではフィンランド幼児がÄitiと言っているのを見かけた)。
フィンランド語は正書法が確立してからそんなに経っていない(初めてフィンランド語で小説が書かれたのが19世紀)ため、書き言葉で古文的な表現がどの程度可能かというのが謎。フィンランド人に遭遇したときに聞けばいいんだろうけど、ついサルミアッキについての質問を優先してしまうため未だ分からず。

さて、問題は「翻訳ではなく元々フィンランド語で書かれたクトゥルフ神話」があるのかということだが、ありがたいことにWikipedia内にフィンランド人クトゥルフ神話作家が(二人だけだが)紹介されていて、さらに書評へのリンクがあったので訳してみた。

※中の人の翻訳能力はかなりアレなため、内容についてはだいたいこんな感じというくらいに止めておいてください。あと、関係ないけど翻訳中になぜかWordのデータが消えたという宇宙的恐怖※

「怪奇小説集」 S.Albert Kivinen 著 Aikakone 1991年
私はS.Albert Kivinenの小説「真夜中の妖蛆」(直訳だと真夜中の太古の蛆)を1987年に出版されたとき直ぐに読んだ。それはH.Pラヴクラフトの怪奇小説の様式をフィンランドの風土と伝説に結びつけることに成功していた。このKiviの全集は、「真夜中の妖蛆」がそれを反映しているように、彼のエキセントリックな作家としての才能に注目する場合大いに期待できるものとなっている。
たとえそれが本の半分しか直接ラヴクラフトに関係していない(ラヴクラフト様式の小説と短いラヴクラフトの伝記)であったとしても。

最初の小説「蟲を踏みつける風」はひどいものである。これは、ラヴクラフト様式というものが、当のラヴクラフトでさえ、常に整合性のある話にはできていないという事情がある。しかしながら、「真夜中の妖蛆」は読むたびにインパクトのある新たな世界が立ち現れ、初期の出版されていない作品「クトゥルフの後見人」を補完することに成功している。この小説には明らかにKivinenの「フィンランド的なものをラヴクラフトのダニッチ(訳注:ラヴクラフトの作品に登場する地名)へと変容させよう」、「話の中にラヴクラフトの詩的な狂気を取り入れよう」という不断の試みが見られる。
この作者の努力の結果、読者は今まで書かれた中でも最も美しいフィンランド怪奇小説の世界へと案内されるだろう。

残りの短編もさらに問題作である。「Obliteskentit(訳注:フィンランド語ではない言語からの造語?ラテン語にoblittero/忘れられたという単語がある) 小説」である「テーブル・ダンス(訳注:ググったらなんかそういう踊りを踊るボスニア由来のクラブの類という説明が出てきた)の奇妙な写真」は超心理学に着想を得ている。この小説が根本的に優れているのは、すべての部分が「私は私であるかもしれない」と同時に「私は私ではない」という考え方へと行きついている点である。これは私自身の解釈であるが、ここにはKivinen自身の考えが非常に比喩的に表されているのではないか。

「忘れられた小説」からは「老いた賢人の下への旅」が全編を通じてオカルトへの軽い皮肉が込められていて読みやすい。もっとも、それらは読者がフリーメーソン(もしくは左官)でなければわからないものばかりではあるが

怪奇小説集」の最後の部分は、哲学的で、特に超心理学を反映した考え方から成り立っている。これにできるだけ説明を加えると、それは客観的に存在するもの/しないものを観測する現実的な方法ということである。これらの語法は分かりにくいものである。(もしかすると故意に分かりにくくしている可能性がある)
 また、どれだけの読者がこの(わかりにくい)最終章を読むことができるのかという疑問もある。

 さらに興味深いことに、超心理学の目的の多くがパラサイコロジー(訳注:社会と科学で説明できない現象がどのように相互作用するのかを研究する学問…らしい)へと向かうという可能性がこの小説の考え方から示されている。それはいわゆる超心理学的な実験が社会において分断され、そしてその実行が社会的エネルギーと結びつくことに対する、言わば研究である。
 超心理学は頭の中で「とんがり帽子や空飛ぶ様子」を想像する傾向があるが、このためにその目的が常に目新しいままなのである。

                                               評:P.A Manninen


訳が悪いせいか、褒めているのかそうでないのかよくわからない書評だけれど、「真夜中の妖蛆」(Keskiyön mato Ikaakisissa)というのがお勧めらしいということは分かった。
ていうか、「フリーメーソンか左官でないとわからないクトゥルフ神話」って新感覚すぎる。

それにしても、クトゥルフ神話を読むよりもこの文章を訳すほうがSAN値が下がったような気がするというのはどういうことだ(特に後半の超心理学とパラサイコロジーが云々というあたり)。

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